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イエス様の御心
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
「マタイ11章28節~30節」
韮崎カトリック白百合幼稚園の保護者の皆様、はじめまして。この度、カトリック韮崎教会の新主任司祭として赴任させていただいたヤコブ姜真求と申します。大事な子供たちと共に過ごすことができ、とてもうれしく思います。これからどうぞよろしくお願いいたします。
白百合幼稚園の小さな天使たちがみんな帰った後、夕方になると、お庭を行き来しながらロザリオの祈りをささげます。この頃、一日のスタートは幼稚園の子供たちと遊ぶことから始まっています。ミサがないのがちょっと残念なことですが、ミサも遊びもバランスよくなると思います。一日中、子供たちが遊んだり、いろいろ学んだりしていた後、そのお庭をゆっくり歩くのはとてもありがたいことです。そのお庭のあちこち、子供たちの色々な跡が残っているでしょう。小さな足跡や手跡があり、かわいい自転車のタイヤの跡やボールの跡もあります。その後を残しながら遊んだ子供の姿は、想像することだけでも心が癒されるようです。
さて、天国とはどんな国でしょうか。イエス様はかつて、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」と言われました。この御言葉を少し考えてみたら、神様の国はイエス様がおられ、また、子供たちのような人々がいる所であるのが分かります。「イエス様のところに共にいる」こと自体が天国であると言うことでしょう。イエス様のところにいるためには、子供たちのようにならなければなりません。では、「子供たちのようになる」というのは、どういうことでしょうか。
それは、イエス様の御心に敵う人となることでしょう。イエス様の御心は「柔和で謙遜」で満ち溢れる心です。イエス様はいつも、その御心を持って人と出会い、弱く貧しい人や罪人たちの友となってくださいます。そして、その人たちの重荷を共に負ってくださり、心を癒してくださいます。イエス様のその御心に倣う人こそが、子供たちのようになれる人、イエス様の友となれる人、イエス様のところに共にいることができる人なのです。
6月は「イエス様の御心の月」です。韓国語では「イエス聖心聖月」と言いますが、すべての信仰者がイエス様の御心に倣う人、その御心に適う人となれるよう努めることが勧められます。白百合幼稚園の小さな天使たちを見つめながら、わたしは思います。「小さく弱い子供たちだけど、その心はまさにイエス様の御心とそっくりではないか」と。柔和で謙遜なイエス様。ただこの一ヶ月の間だけでなく、これからもずっと、わたしも信者の皆さんも、イエス様の聖なる御心に倣うことができればと思います。
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園のマリア祭(5月21日)にて、園児たちに祝福をありがとうございました。